味覚も考えも甘ったれなみるきーの随筆

本音って甘いだけじゃ物足りない。

2021年に変化してみました。

なんとまあ、、ひどい有様、、、
結局続けられないサボり癖、、、

 

久しぶりに文字に起こしてみています。

 

サボり癖、というよりはアウトプットを前提にインプットを
してこなかった甘ちゃんスタンスを取っていたり、
所謂コンフォートゾーンでのんびりしていたりと、
要は生ぬるい過ごし方をしていました。

 

その原因を振り返ってみると公私ともに整理できていなかったなと。

 

色々とっ散らかった状態で、今しか見ておらず、
振り返りを行なったり目指す先を定めなかったり、
とりあえず走らなければいけないから走る、
そんな日々を過ごしておりました。

 

まあPDCAを回していなかったって話。

 

社会人の基礎、PDCAサイクル、社会人5年目の人間が
全然できていないという雑魚キャラっぷり、、

 

多少仕事ができても、ぼちぼちお給料を貰っても、
全然成長がない自分、魅力的な人間になれていない自分、
そんなペラペラな自分を見て見ぬ振りをしてパチンコを打つ日々、
僕の人生においても緊急事態宣言を発令させていただきました。

 

ということで、2021年、怠惰な性質が非常に強い
自分を強制的に律するため、一つ決断をいたしました。

 

つまり、何かと言うと、転職しました。

 

大学卒業から新卒入社し丸4年、ひいひい言いながら
必死に走っていたネオキャリアでの仕事を3月末で終え、
新たに人事組織コンサル系のお仕事を始めております。



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https://one-colors.jp/



まあ必死に走っていたと言ってもそれは最初の1-2年だけで、
3年目からは慣れや余裕ができてパニックゾーン→
→ラーニングゾーン→コンフォートゾーンに流れていき、
頑張っている風を装ってしまっていた自分。。


そんな自分にハリーもびっくりの喝!!を入れるため、
再びパニックゾーンに身を置くことを目的に転職を選びました。


ちなみに、、、

「コンフォートゾーン・ラーニングゾーン・パニックゾーン」
については、ミシガン大学ビジネススクールのノエル・ティシー教授が
提唱している概念になりますので、ご存じない方はコチラを見てください~。

https://knowlezine.com/66


一般的に言われていることとしては、
コンフォートゾーンは甘え、
パニックゾーンはストレス過多で死ぬ、
ラーニングゾーンで程よく学習しやすさ◎。


ただ、前職では「20代はいかに自分に投資をするか」
と言う観点からラーニングゾーンですら甘えであり、
積極的にパニックゾーンに飛び込んでいけ精神を教わってました。


実際に前職では入社してから最初の1年は特にパニックゾーンで
何度も胃がちぎれたくらいのストレス過多な環境の中で生き抜いてきて、
結果として様々なリターンを得てきたという経験があったので
個人的には納得もしていました。


ただ、色々と調べてみると「パニックゾーンには身を置くな」という
考えが主流であり、そんな環境に身を置いていたらポジティブな
インプットが無くなる、ということらしいです。。


まあ確かにストレス過多な環境では有ったので、生きることに必死で、
当時は視野も狭まっていたしギリギリの状態ではあったものの、、
喉元すぎるとなんとやらという話の通りで、過ぎてみるとなんてことない
「あの時はやばかったね~」とネタになる程度。笑


でも「あの時」の様々な経験があったからこそ身についたものも多く、
「あの時」に一気に詰め込んだから一気に躍進できたと思っています。


まあ捉え方次第であり、絶対解ではなくそれぞれの納得解であればいいので、
何が正しいだとか、何が正解だとか、そんな話をしたいというつもりは有りませんが、
今回の気付きとして得たものは、、


新卒は真っ白なキャンバスって言い得て妙!
フラットな視点、俯瞰力ってめちゃんこ難しい!


ということ。


元々、前職の価値観や考え方は嫌いでした。笑
何言ってんねん、頭おかしいやろ、無理無理無理、、的な。笑


でも、それがスタンダードな環境で過ごしていると
気づいた時には自分の常識として身についていて、
外に出てみないと良くも悪くも世間離れしているって
気付くことができないほど染まるんだなあって身をもって経験しました。

全然○通信系の会社ではないものの、そこでバッキバキに成果出してた上司、先輩社員と一緒に働いてたからか、ぞす!ぞす!って言うようになっちゃったし。笑


で、今回の気付きを得たきっかけが転職で、今まで閉じこもっていた
コミュニティの外の方々と出逢い、色々とお話を重ねていく上で
思っていた以上に「あれ?自分の考え偏ってね?」となりました。


割と物事の本質を捉えるだとか、客観性を持って判断するだとか、
俯瞰的に物事を見るだとか、そういう能力には長けているなという
自覚を持っていましたが、井の中の蛙大海を知らずってやつですね。


視野が広い狭いというより、多面的に物事を捉える癖付けはできていたものの、
多角的な視点を手に入れていなかった、という感じが一番しっくりきます。


これからコンサルの仕事を務めるにあたって、この多角的な視野から
物事を見るという能力が必須であり、早々に身につけるべきスキルとなりました。


中高の教員免許を取る際に「多面的・多角的に考察する力の育成を目指す」という
方針を見た時に、めちゃくちゃ重要な考えだなって感じたのを思い出しています。


本来は学生時代の教育で身につけるべきスキル、10年遅れで取り戻したいと思います。


そして、再びパニックゾーンの中を生き抜いて、様々な強力なスキルを身に着け、
魅力あるビジネスパーソンになれるように2021年は頑張っていきたいと思います。


簡単な気付きと所信表明になりますが、以上となります。
ご清覧いただきありがとうございました。


ちなみにパニックゾーンを生き延びた要因としては以下の2点のどちらかかと。笑


①僕の感度がガバガバで、ストレス耐性が鬼強かった(=鈍感力)
②僕の感度が過度に敏感で、ラーニングゾーンをパニック!パニック!と騒いでいた(=へたれ)

2020年、変化の一年にします。

あけましておめでとうございます。

はぁ〜〜〜結局全然ブログ更新してなかったなァ〜〜〜〜。。

 

一番最初の記事を見返すと、、

「色々と思うところはあるけれど、〜〜溜まっていた

あれこれを発散するために始めました。」って書いてあって、

8月の記事では「月1回は更新できるようにしよう…」って

書いていて、全然自分の意思を尊重できてなかったなって。

 

反省だ〜〜〜〜〜〜〜………。

 

なんで更新しなかったのかな〜って考えてみた。

面倒くさいとか感情的な部分もあるのはあるけど、、笑

一番は更新しよう、何か書こうってモチベーションが

全然生まれていなかったなって気づきました。

 

まあ、、そらそうやろ、、ってなるけれど、、

何故更新しよう、何か書こうってモチベーションが

生まれてこなかったのかな〜って考えてみると、

最初の「色々と思うところはあるけれど、」の部分、

これが全然最近の日常に無かったなーって。

 

何かしらの気づきなり、自分の意見が日常の中に全然無くて

すごい受動的に過ごしてたんだな〜〜〜って分かって、

「あ、やばい、置いてかれる」って焦燥感に駆られました。

 

いや、こういう受け身な生き方、自分で何かしら選択したり

挑戦したりしない生き方を生まれてから22年間してきたので

疑問の残るような生き方をしていたわけではないんです。

 

ただ、社会に出てからの2年間が、それまでの自分の生き方と

全く異なる過ごし方を強いられて、それが当たり前、かくあるべきと

自分でも思えるようになっていたところで、最低限掲げていた目標を

達成したからだろうな、、完全に腑抜けておりました。笑

 

完全に現状維持バイアスに囚われて、せっかく自分に根付いた

新しくて有益な価値観を風化させていた…。

 

猛省。猛省。猛省。猛省…。

 

そこで、、掲題の通りとなります。

 

2020年、変化の一年にします。

 

元来、私は学ぶこと、というか自分が賢くなることが非常に好きです。

 

ひたすら自分の好きな分野の知識を学問・趣味の問わず好きなだけ収集したり、

他者自分含め人、ひいては集団組織について学びや気づき、考えを自分なりに

答えを導き出してたり人生を哲学したり、ビジネスとマネジメントに関する

スキルをひたすら自分に詰め込んでいたけれど、どれも全て周囲から自動的に

新たな知見や経験を得られる有難い環境に属してたところから、今年度からは

自ら働きかけないと得られるものが少ない立場となり、ここで私の学びが

急速に停滞してたんだなって気づきまして、自分の人生は自分で導かなきゃ

いけないなと思わされました。

 

って考えもこういう風に言語化することで纏めることができて、

たった今、自分に対して「自分の人生に責任持てよ!」って

叩き込んでるけれど、今回この記事を書こうと思い立ったのは

めちゃくちゃ苦手、嫌いな本を読んで、思い立ったことがあったから。

 

やっぱりインプットするって大事なんだな〜〜って改めて思いました。笑

 

ということで、ここまでの話とこれからの話と、どっちが本題なのか、、笑

いつも導入部分が長くなってしまうことは置いておいて、

最近思うことは「思い」ってものすごく大事だな〜ってこと。

 

最近読んだ本でも、今の仕事でも、上に書いた内容でも、

どれも共通して言えること、言われてたことは

「自分でやろうと思ったことはしっかりやりきること」でした。

 

いや、当たり前やろ、、って感じですが、、これが難しい。

25歳にもなって、まだまだ自分のケツを拭けないんだよな〜。

自分に対して自分で責任を持つこと、これが非常に重要で

非常に難しくて、今この壁にぶつかってます。

 

まず「やろうと思うこと」これが難しい。

なんだろうね、、元がネガティブだから出来ない理由を

先に探してしまって、日和ってしまう。

 

このスタンスが抜けないから、結局やることになったとしても

「難しいって言ったやんけ〜〜」って感じで自分に対して

言い訳ができる状態で物事を始めてしまっていて、そんな

スタンスだったら当たり前に成功しないよね〜〜っ。

社会人になったらこのスタンスが余計に強くなっちゃったな。

 

大学の時は引き寄せの法則を信じていて、なんとかポジティブに

考えるように癖付けていたのに、今はマイナス方向に引き寄せて

しまっていて、泥沼に嵌まってしまってます。

 

と、いうことで、とりあえず足元の目標を定めました。

 

私は根拠のない自信を持つのは得意です(唐突)

 

まあ、これは引き寄せの法則に則って、まずはビッグマウス等と

周囲からなんと言われようと馬鹿にされようと、公言して自分に

言い聞かせて、最終的に言った通りの次元まで自分自身を導くように

セルフコントロールをしているからですが、そうは言っても全く何も

知識の無い分野では流石に大口は叩けません。

 

ここでいう知識の無い分野というのは今の仕事に関する話でして、

私は今、仕事を頑張って改めて自分からも周囲からも評価に値する

人材になりたいなと思っております。

というより、この半年強遅れてしまった分を取り返したいなって。

 

そこで、まずはインプット量を増やして、自信を持つ根拠を

最低限身につける、また自分より視座の高い話を取り入れることで

充てられて単純に頑張ろうって思えるようにしようと思います。

 

はいめっちゃ単純〜〜〜〜、今年の目標は簡単だ〜〜。

簡単だから本当に絶対にやりきろう〜〜〜。

 

苦手だけど嫌いだけど本いっぱい読むぞ〜〜。

いろんなセミナーとかにも一旦参加してみよう〜。

 

本当にどっちが本題かわかんねぇな、これ。笑

まあいいや、頑張ろう。

 

 

今の仕事は3年くらいかな、と思って入社して、

まもなく丸3年を迎えようとしております。

2020年は転機ですね。多分。笑

 

色んな価値観に触れて、もっともっともっと自分に厚みを持たせて、

人としても成長したいので、皆さん時間の許す限り会ってくだせぇ。

色々とお話させてください。よろしくお願いシャス。

進化それとも退化

最近、自分と向き合う時間が取りたいのに、嬉しい誤算で友人に誘われて

外に出る機会や仕事が週末に入ることが多く、着手できなかった。

 

「4,5月は遊びに振り切りサボってしまったから6月は確実に時間を取って書こう」

そう思い立って早半月、仕事に忙殺される日々の中で、

何よりも休養を優先する僕に何かに取り組む時間なんて創出できなかった。

 

なんて書き起こしてから早3ヶ月。

笑っちゃうくらいサボってた。。。

 

このプロットを起こし始めてから時間が経ちすぎて、

あの時のモヤモヤに比べると今は割り切れていて、

「嗚呼、鉄は熱いうちに打つべきだったな」と当たり前の後悔をしていたりする。

 

 

自己実現のあり方について

 

GWに僕は神戸に行き、卒業振りとなる3年振りに

ゼミの教授に会いに行き、色々とお話しした。

 

人生の歩み方に関して、ご自身の知見を基にとても丁寧に言語化して下さり、

頭でっかちでアウトプットをあまりしない僕にとっては

「そうそう、それを言いたかったんだ」とか、

数年後に「あの時言ってたことはこういうことか…!」とか、

そういう体験をさせてくれる非常に尊敬する方。

 

そんな教授がポロッと溢した愚痴が僕の中で延々と木霊し、

最近自身で抱えていた悩みと繋がり、非常にハッとした。

 

「最近のゼミ生は、ゼミの忘年会みたいな飲み会一つも企画せず

当然のように先生が店を抑え、お金を徴収し、店では注文をかけ、

乾杯の音頭も取り、いざ飲み始めると全員がつまらなさそうに携帯を触っている。

どうしたものかと。

私は一体何の時間を過ごしていて、どうして彼らのために私が会話の主導権を取って、

丁寧に手取り足取り接待しているのか。

決して接待して欲しいわけではない。

ただ、素直に考えが、思いが理解できない。」

 

実際、この発言を読んでみて皆さんはどう思う。

別に共感を求めているわけではないが、僕は非常に異常だと感じていて、

且つ、同様の事象が僕の会社でも起こっていて困惑していた。

 

有難いことに私は部下を持たせていただいており、【17卒(同期)、18卒、19卒、中途】

と見ている中で年齢が若くなるにつれて受動的な人が増えている。

 

偉そうなことを言える立場でもなく、僕自身もあまり向上心が強くない、

面倒くさがり、現状維持大好きマンとして、能動的に仕事を獲っていくような

人間では決してない。

 

ただ、そんな僕でさえ、異常と感じている。

これって相当やばいんじゃないのか。

この口だけ立派、行動は上手く誤魔化すマンの僕ですら、

「えぇ…流石におかしくね…」と感じているのである。

 

自己肯定をすると、誤魔化そうと認識しているだけマシなのかもしれない。

超最低だけど。笑

 

そもそも、そういった事態に対して何も感じていない。

おかしいと感じていない。

当たり前だと感じている。

そんな人が増えてきている、と思う。

 

マネジメントの場では、

「今は褒めるマネジメントが主流です」とか、

「目的や背景を落とし込んで、仕事を任せる」とか、

「何をどういう風に動かして仕事をこなすか、具体的に落とし込む」とか、、、、、

 

超面倒臭いんですが!!!!!!!!!!!

 

いや、、やってよ。

そんなん自分で考えてよ。

まずはやってみようよ。

 

「意義が理解できないと、何のためにやっているのか、

ここが分からないとやる気でないんです。」ってなんだよ。

 

うるせえよ!!!!!!!!!!!!!

 

頭あるんだから、脳みそ付いてるんだから、自分で考えるとか導き出すとか、

自分でどうにかしてみなきゃな…とか思わねえのかよ!!!!!!

 

はぁ。。。

こういう風に言語化するだけでも少しスッキリする。

 

こういう悩みに対して僕は「何やねんこいつら…脳みそ動いてないんか…

退化してんちゃう…」と、とてもとてもとてもとても思っている。

 

ただ、世間はそうは言っていない。

よくマズローの承認欲求の話などで、時代が変わり、人が求めるものも変わり、

次第に高次元になっていると耳にすることが多く、要は進化しているらしい。

(下記画像参照、適当に引っ張ってきました。笑)

f:id:milkyflatyou:20190824224718p:image

 

いやいやいやいや、、、、退化でしょ、、、、、

僕はどうしてもそう感じでしまう。

 

これって僕、老害化してますよね。

昔のやり方、自分のやり方を押し付けている。

頭では理解しているものの、どうしても納得できない。

 

はぁ、、この思いどないすればええんや!!!!

 

 

という内容が5,6月くらいに書いたのかな。

今では前述の通り、モヤモヤは晴れている。

 

自分の中で答えを導いて腹落ちさせたから。

自分で考えて、自分の脳みそを使って答えを出したから。笑

 

まあ、ネチネチ言うのはここまでにして、本当に今では納得していて、

そういった姿勢を取る部下に対しても、イライラすることなく対応できている。

 

とても単純である。

 

生き様生き甲斐、これは確かに承認欲求の塊である

ゆとり世代から、自己実現欲求や自己超越に向いている。

 

ゆとり世代ディスるようで、当てはまらない人には大変申し訳ないが、

思春期から青年期初期にSNSが非常に流行ったゆとり世代は、

承認欲求の塊が多いと僕は勝手に考えている。

現に僕もそうであるから。笑

 

対して、今の大学生から新卒1年目2年目あたりの世代に関しては、

学童期から思春期にかけてSNSが流行り、早期に承認欲求の面においては

成熟してしまい、大人(と思い込んでいる大学生含む)となり、

人生について考え始めるようになると必然的に承認欲求は満たされ続けたのだから

当然のごとく次の欲求を求める。

 

我々よりも早い段階、若いうちに経験値を手に入れたら、そらもう早熟するでしょう。

当たり前だ。

 

ただ、そこに大きな問題があると感じている。

ポケモンがくしゅうそうち問題」だ。

 

これ、とても言い得て妙だと感じているのだが、

皆さんはこのワードを見てピンと来るだろうか。。

 

ポケモンをやったことない人は、、すみません。笑

多分ポケモンをやったことある人の大半は、必ずと言っていいほど

がくしゅうそうちって超便利!」と感じて、

早く育てたいポケモンに使ったのではないか。

 

特にコイキングとかケーシーとかに。

あ、僕は赤版緑版世代です。

 

ただ、わざっぷとか、攻略本とか、あとは友人の話とか、

どこかから「努力値」なる情報を手に入れてからは

なるべく使わないようになったのではないか。

僕がそうだった。

 

自分でプレイしている中で察した人もいるかもしれない。

 

諸々の説明をすると、

本来は敵のポケモンと闘い、勝つことで経験値を得てレベルを上げていく、

技を覚えていく、進化していく、こういったプロセスを辿って、ゲームを進行する。

もちろん相手が強ければ強いほど、貰える経験値も多い。

 

そして、レベルが低い間は少しの経験値でレベルが上がり、

レベルが上がるにつれて次のレベルに上がるために必要な経験値は増える。

が、進めるとともに相手も強くなるため得られる経験値も多くなり、

まあ普通進めていけば最低限はレベルも上げられて苦労はしない。

 

そして、「がくしゅうそうち」とは、その道具を持たせたポケモン

戦闘に出なくとも、闘わなくとも、他のポケモンが闘い勝つことで

経験値を得られるという便利な代物である。

 

得られる経験値は、本来闘ったポケモンが100得られるところ、

50-50で分配されるという仕組みである。

(多分。もう何年もポケモンしてないから若干違うかもやけど。笑)

 

そこで大体の人は察する。

「自分の強いポケモンを戦闘に出し、強いポケモンと戦う。

そして早く育てたい弱いポケモンがくしゅうそうちを持たせる。

すると、本来今のレベルでは得られない大量の経験値を

一気に手に入れることができ、レベル上げの効率が上がる」と。

 

確かに、レベル100のポケモンでレベル70-80くらいのポケモンを倒し、

その戦闘の経験値をレベル1のポケモンと分配すると、

一気に5レベとか6レベとか上がって超気持ち良い。

 

ただ、先ほどちらりと書いた「努力値」という概念を知ると、

この育成方法は決して万能ではないと分かるようになる。

 

努力値とは、そのポケモンだどれだけ努力を積んだか、という概念であり、

簡単に言うと自分で闘った数が多ければ多いほど努力値なるステータスを

手に入れることができるものである。

 

努力値を手にするとどうなるのか。

強くなるのである。

 

がくしゅうそうちのみで戦うことなくレベルを上げたポケモン

自分で戦闘を重ね努力値と経験値を積みレベルを上げたポケモン

同じレベルとなっても攻撃力や防御力など、各数値面において

圧倒的に差が開いてしまうのだ。

 

※あまりガチ勢じゃないのでざっくりした説明です。

※なんか違うとかあればご指摘ください。

 

話を戻すと、「ポケモンがくしゅうそうち問題」とは、

人も同様で自らの経験から知見を得るのか、

歴史から知識として手に入れるのか、を比較した際にすべからく

前者の方が成熟度が上がると言うことである。

 

自明の内容であるが、これを元々の話に合わせると、

若い時(レベルが低い時)に本来手に入れられない経験値を得て、

レベルが上がると中身が伴わない。

 

ゆとり世代が思春期後期から青年期初期にかけて手に入れた経験値を、

学童期から思春期初期に同様の経験値を身につけたのが今の大学生や

新卒などの世代なのである。

 

また、インターネットの普及により、自ら努力しなくとも情報が得られる世界となり、

自ら闘わなくとも多少の問題、敵は倒せるようになった。

 

なるほど努力値が積み上げられていないからこそ

本来手に入れるべき視点が手に入れられていないのか。

この考えに至った時、もう超すっきりして、「俺天才やんけ。めちゃ分かりやすいわ」
自画自賛した。

 

他に同じようなことを書いている人もいるかもしれないが、そんなことは知らない。

ポケモンがくしゅうそうち問題」は僕の考えだ。笑

 

改めてこの問題を考えると努力値という概念を

作った90年代のポケモン開発者、先見の明がすごい。

天才だわ。まあ当たり前な内容だけど、すごい。

 

ただ、驚きなのが、このギャップが1,2年の差で生まれている。

相当なスピードで文明が発展し、やはり文明の進化に対して

人間の進化が間に合っていないのであろう。

 

僕はしっかりと努力値を積もうと思う。

便利な世界になっても、自分で経験を得ていく。

それが表面だけでなく深層的な部分でも自分のステータス、スペックを伸ばす

一番の方法だと思うから。

 

となると、、やっぱり結論はこうなる。

 

いや、、やってよ。

そんなん自分で考えてよ。

まずはやってみようよ。

「意義が理解できないと、何のためにやっているのか

分からないとやる気でないんです。」ってなんだよ。

うるせえよ!!!!!!!!!!!!!

頭あるんだから、脳みそ付いてるんだから、

自分で考えるとか導き出すとか、自分でどうにか

してみなきゃな…とか思わねえのかよ!!!!!!

 

長文乱文拙文失礼いたしました。

是非、皆さんの考えもご教示ください。

それでは。

 

 

 

 

 

改めて、月1回は更新できるようにしよう…

自分で考えて導き出さなきゃ…

単純なのに複雑でとても苦手

 

 

 皆さんは何をモチベーションに生きていますか。 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

3月に入り就職活動を本格的に始めている

後輩のSNSを見て、自分の就活時代を思い出す。

なんとまあ酷いものだっただろう。

 

なりたいもの、高校の社会科の教師。

ただ、馬鹿な僕に人の人生を背負う覚悟なんてなくて。

自分の世界観の強い僕が、様々な秘めた可能性を

開花させられるように教育する自信がなかった。

だから逃げるように一般企業の就活へ。

 

なんて身勝手で最悪な考え方だろう。

一般企業に入ると、人の人生に影響なんて与えないと

馬鹿な決めつけをして、非常に失礼な奴だ。

 

 

 

就活を始めた僕は漠然と教育に近しい分野として、

人の人生に寄り添って何かしら貢献ができるように、

と人材業界を中心に企業を探し、今の会社に入ることになる。

 

ただ待っていたのは、元々想像していたものとは

全く異なる株式会社という未知の世界だった。

 

人材業界の中でも営業色の強い会社に入った僕は

人を商品として捉える気持ち悪さがどうしても拭えず、

必死にもがいてはみるが気が付くと何も感じないようになり。

 

それでも働き始めて1年半頃だったと思う、去年の秋頃には

株式会社というあり方、この世界で人の為に働く、貢献するという

実感と言うか手法と言うか、漠然と理解できるようになった。

 

基本的には頭でっかちな生き方をしていて、

頭での理解が先行していないと行動できないけど、

体で先に覚え、後に頭でロジックが組み立てられた

非常に気持ち悪い経験の一つ。 

 

最初は大嫌いだった会社も、今では大嫌いではなくなった。

苦手だけど、まあ、こういう世界もあるよね、と

上手く自分で消化させて仕事に向き合えるようになった。

 

 

今の仕事についてとか、働き方についてとか、

色々思うところも感じるところも考えるところも

いっぱいあるけど、今回の趣旨とは外れるので

またいつかの機会で書くとする。

 

毎回始まりの部分で話し膨らませすぎて、

支離滅裂な文章になってしまうの直したいな。。笑

 

 

さて、今回書きたい内容は、

皆さんはどうやって頑張っていますか。

皆さんは何をモチベーションに生きていますか。

 

ようやく最初の一文に戻ってきた。

 

モチベーション

就職活動で嫌と言うほど自分に向き合って、

何が自分を奮い立てるのか、考えて考えて、、

ESでもGDでも面接でも話す、この内容。

 

先に書いた通り僕の就活は非常にお粗末なものだった。

 

自分を常に俯瞰している僕は自分を客観視して

定量的にも定性的にも分析することは非常に得意だ。

 

ただ、どうしても自己分析の中で分からなかったことがある。

それがモチベーション

 

なぜ苦手なのか。答えは明白である。

24年間の中で何かに努力する、必死に頑張るなんて、

そんな経験をしたことがないから。

 

非常に短期的なものは幾つかある。

小学生の時にピアノのコンクールで賞を取るために、

コンクール直前の1週間程度はピアノに噛り付いて

自分が満足するまでは弾き続けた。

因みにこの時はしっかりと賞を取る。笑

 

大学生の時にはバレーの練習を何度か頑張ったこともある。

ただ長続きはしなかった。

 

何故か。

確固たる自分が無いから。

今の僕はそのように考えている。

 

ピアノに関しては周りから、練習したら

絶対にコンクールで賞取れるのに、、と

有難いことに認めてもらっていた。

バレーに関しては周りの雰囲気に充てられて。

 

どちらもその過程も結果も意味あるものだったし、

今でもかけがえのない経験や思い出になっている。

 

ただ、だからと言って、これで味を占めて

努力家になるなんてそんな単純な人間ではなかった。

 

 

僕はモチベーションに対して、

ポジティブモチベーション

ネガティブモチベーション

この二元論で捉えている。

 

ポジティブモチベーションは欲しいが根底にあるもの。

現状から先にベクトルが向いているものを指している。

 

対してネガティブモチベーションは危機感が根底にあるもの。

現状を先から逆算して必要なものを捉えるというような

逆ベクトルになっているものを指している。

 

よく言う「アメとムチ」で例えると、

アメ≒ポジティブ、ムチ≒ネガティブという考え方である。

 

 

今僕は仕事で部下の育成という課題に直面している。

これがまた非常に難しくて苦悩している。

 

このモチベーションに関して、なんとか自分の頭の中に

ロジックを立てて理解はしているつもりになっているが

実際はこんな単純でなく、思うようにマネジメントができない。

 

ポジティブモチベーションを抱かせるために

部下の将来の夢に今の業務を紐づかせてみたり、

ネガティブモチベーションを持たせるために

夢から中長期的なマイルストーンを置いて現状とのギャップを示したり。

でも空っぽな言葉だからなのか、そもそもの方針が誤っているのか、

上手く成果に繋げられていない。

 

そもそもだ。

セルフコントロールをしたことがない人間が

相手をコントロールするなんて上手くいくわけがない。

 

24年間自分に向き合わなかった、着手しなかったツケが

ここにきて非常に痛手となっている。

 

先ほど書いた通り自己分析では自分と向き合わずに、

俯瞰して分析をしていたから。

自分を360度と言わず、立体的に見るようになっても、

それでも真正面の1視点のみ持てていなかった。

 

果たして、僕は何をモチベーションに頑張るのか。

 

新しいジャケットやスラックスを買ってみる。

ピアノを買ってみる。

美味しいご飯を食べてみる。

美味しいお酒を飲んでみる。

友達と遊んでみる。

旅行に行ってみる。

彼女を作ってみる。

 

全てが瞬発的な一過性のモチベーションにしかなりえない。

 

そんな僕がたどり着いた結論が一つだけある。

なんのロジックがあるのか全く分からないが一つだけ。

また、これに関しては強引なこじつけレベルである。

それは何か。

 

 

筋トレである。

 

 

なんだこいつバカか。

ついに頭おかしくなったのか。

 

多分、頭がおかしくなったのだろう。

 

この2年間の社会人生活の中で、

昨年の3月からジムに通い始めちょうど1年経った今、

ジムに通っていなかった1年間と

ジムに行って真面目に自分を追い込んでいた期間と

仕事が忙しくてジムになかなか行けなかった期間。

 

振り返ってみるとジムにしっかり行けていた期間が

最も仕事に前向きで成果も出ていたのである。

 

仕事にも前向きだったからジムにも行く余裕があったのかもしれない。

ただ、ここでこの鶏卵論をするつもりはない。

 

僕としては生活にメリハリが生まれ、運動欲が満たされ、

仕事に向き合えるようになっていると考えている。

 

だから今日もジムに行ってきた。

だから本当はこんなに長文タイピングするのも

きついくらい上半身の筋肉を鍛えてきた。

 

結局僕のモチベーションは分からないままだ。

ただ、一つだけ中期的な目標ができた。 

目指せ体脂肪率10%。

私は何処へ行ったのか

 

初対面の人とうまく話せるようになりたいって

何度思ったことだろう。

私は極度の人見知りである。

 

そもそも人見知りってなんだ。

 

困った私はインターネットで検索をしてみる。

 

 

「人見知り」

生後6ヵ月頃から始る,見慣れない者が近づくと微笑を示さなくなり,さらに恐れを示すようになる反応。乳児生後2~3ヵ月から5ヵ月頃までは誰にでも,近づいてくる顔を認めると微笑反応を示すが,6ヵ月頃から見慣れた者と見慣れない者の顔を見分けるようになり,見知らぬ人が近づいたり,抱こうと手を伸ばしたりすると顔をそむけたり,泣き出したり,母親にしがみついたりする。これは見慣れない者に対する恐れの情緒が発達してきたためと考えられ,人に対すると同時に見慣れない場所に対しても同様の恐れを示す。人見知りは8ヵ月頃から激しくなり,1年近くで消えるものであるが,環境によっては2~3年も続くことがある。養育者が多数で交代するような環境では人見知りの出現が遅れたり,現れないこともある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について

 

 

おっと、、、

人見知りってこういう意味だったのか。

また一つ賢くなったとともに馬鹿らしくもなる。

24歳にもなって私はまだ、ここまで幼かったのか。

 

 

さて、私が初対面の人とうまく話すことが

できない訳に向き合ってみる。

 

 

そのコンプレックスとは「素直になれないこと」。 具体的に言うと、「相手に思われている像になりきる」と 自分の中では捉えています。

思い立ったが吉日 - 味覚も考えも甘ったれなみるきーの随筆

 前回の内容に被るが、素直さを持ち合わせていない私は

素の自分、本来の自分の表現が恐ろしいほどにできない。

 

考えてみると、本音を打ち明けたことなんて、これまた24年間の中で片手とは言わないまでも

両手で数えられるくらいではないだろうか。

 

 

2ヶ月ほど前、自分でも驚くほどに仕事に身が入らず、

無責任な日常を過ごしていた。

 

理由は様々あれど、一つ、会社(上司)の考え方と

私の考え方が合わずにモヤモヤ、、としていた。

 

そこで、物心が付く前を除くと人生で初めて

父親に社会人の先輩として本音ベースで相談をした。

 

自分の悩みを伝え、感情を露わにし、

最終的には何一つ解決も進展もしなかったけれど。。

ただ、気分は非常に晴れて、何かを掴んだ気がした。

 

そして、父親も初めて本音の相談をしてきた息子に対して、

お酒混じりで酔っ払いそのものの話し方ながら

何とか応えようと色々と話して。

 

ここで私の中で一つ大きな変化が生まれた。

本音を伝えるって良いなと。

 

 

実は7歳の時に母親に一度だけ本音ベースで相談したことがある。

引っ越してきたばかりで周囲に友人がいない環境の中で

クルクルな強い癖毛、ぎょろぎょろとした大きな目など

外見を用いた悪口、いじめまがいな扱いを学校で受け続け、

単純に「しんどくて、生きている意味があるのかな。」と。

今となっては可愛らしい悩みながらも親にはセンセーショナル、

泣きながら話した私よりも大きな涙を目に浮かべていた。

 

そこで私はかなりの衝撃を受けた。

元来、涙とは弱者の象徴であり、大人とは強い存在だと、

延いては親であれば子どもの抱える様々な恐怖を全て

薙ぎ払う圧倒的な存在だったと思い込んでいたところに

親が泣くという事実が自分の常識を破壊する、

ハンマーセッション的な出来事があった。

 

そこから本音を、自分の悩みを、人に打ち明けることは

良くないことだと思い込むようになった。

 

それから思春期に差し掛かり、余計に没個性的な日々へ。

ふと気が付くと、自分がやりたいこと、なりたい姿、

どういう人間なのかを見失っていた。

 

そこからである。

人見知りという表現は控えようか、

初対面の人に対して上手く話すことができなくなったのは。

 

自分がどうする、ではなく、

相手にどう思われているのか、

どういう人間だと捉えられているか、

その期待にどう応えようか、

という過ごし方になっていた。

 

だからこそ、実家での私、中学時代の私、

高校時代の私、大学時代の私、社会人の私、

全てが違う私を表現している。

しかも、所属している環境によって、また異なる私となる。

 

多分大学時代の色々な私が一番素に近く、かつ、

環境が変わっても殆どが同じような私になっていたと思う。

 

ただ、社会人の私で2年ほど過ごすうちに、高校時代の私や

大学時代の私がどういう人間だったかを見失ってきている。

この事実に気付いた私はひどく悲しみを覚えた。

 

以前大学時代のサークルの創設者の話を聞いた際に、

とても印象に残った話がある。

 

なぜなら、「歳をとっていく」というのは「自分を知っていく」ことだから。

わたしたちは、特別になれるか。|Naoki Ota|note(ノート) https://note.mu/ot_john/n/n74d9828c0c94

 

本題とは異なる部分かもしれないが、このフレーズが最も響いた。

  

新しい自分が新しい環境に身を置くたびに生まれてくる。

即ち自分を知っていく。

 

対して、新しい自分が身についてくると

過去の自分を次第に忘れてしまっている。

即ち自分を見失っていく。

 

どうして、私は逆行してしまっている。

 

このもどかしさを何で解決できるだろう。

悩むも分からず、また日々の仕事に忙殺され、

気付くと悩むこともなくなっている。

 

所詮その程度の重要度だったのか、と

これまた私に失望し再び、ひどく悲しみを覚える。

 

私とはどういう人間なんだろうか。

 

素の自分ではなくとも、全ては私。

勿論好きな部分、良いと思う部分もありながら、

嫌いな部分、悪いと思う部分も備わった私。

 

今は不定期ながらも始めたこの趣味を通して、

自分を見つめなおす時間を設け、探していく。

見失ったものも拾いに行く。

 

私探しの旅。いざ行かん。

思い立ったが吉日

 

おはようございます。

初めまして。みるきーです。

 

 

予てよりブログを始めたいなと思っていたところですが、

昨日遂に開設いたしました。

 

日々過ごしている中で色々と思うところはあるけれど、

良くも悪くも某SNSたちでは親族から学生時代の知り合い、

会社の同僚や上司など見られている対象が非常に増えてきたので、

周りからの見え方に縛られて感情を素直に表現できる場を失い、

心の中モヤモヤ、、と溜まっていたあれこれを発散するために始めました。

 

非常に独りよがりな内容になると思いますが、

(というかブログなんてそんなもんですよね!笑)

面と向かって自分の本音を話すことが苦手な私が

不定期にはなりますが色々と発散していきますので、

乱文拙文で恐縮ではありますが、お時間の許す限り

是非目を通していってください。

 

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と、ただの挨拶で終わってしまうのも勿体ないので、

昨日、赤羽の牛繁で2か月ぶりの焼肉を食べながら

ブログを開設するに至った経緯だけ記していきます。

 

きっかけはものすごく単純で、

大学時代の同じサークルだった人々に感化されたから。

 

熱しやすく冷めやすい私なので、

何かを始めるきっかけはそこら中に転がっていて。

 

でも基本的には怠惰な私が表れて、現状維持だ!(という名の逃避)と

自分から何かを始める、働きかけるなんてしてこなくて。

 

そんな中でも大学時代のサークルの同期の中で

最も初めに仲良くなったA君と、

初めは苦手意識が強かったものの、

時を経て人となりを知り急激に仲良くなったK

ブログを読んで私の中のコンプレックスが非常に刺激されました。

 

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◆A君のブログ◆

http://pyonsu.hatenablog.com/entry/2019/01/29/180001?fbclid=IwAR0_WWLaEWvxK2l24ufrqIPt59zNKF3D2c8uhx8WSvt8jvz6Z7YSdG43_Po

彼のブログの中で私が初めて読んだ記事がこちら。

文調や表現が大学時代の彼と変わっておらず、

思わず「こいつアホやな。笑」って思ってしまいます。笑

それでも人を惹きつけるのが上手で、気づいたら全部読んでました。

私が一生敵わないなと思っている数少ない人の一人です。

 

◇K君のブログ◇

https://yossy7655.hatenablog.com/entry/2019/02/10/175216?fbclid=IwAR1H2_iGhAphI3MwshfdabbjslTw9UzK_ab_C8UIXFmtezXSnVjT1I8EUR4

私のブログ開設にあたり、最後の決め手となったのがこちら。

上で「人となりを知った」と書いていたけれど、

読んでみると実際はまだまだ知らなかったことも多かったなと。

結局プロセスは違えど、考え方が似ているので非常に好きです。

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そのコンプレックスとは「素直になれないこと」。

具体的に言うと、「相手に思われている像になりきる」と

自分の中では捉えています。

 

多分ですが、私をよーーーく理解している方々以外からは、

非常に意外だと思われるかな、って思っています。。笑

きっと傍若無人な野郎だと思われているかな、、なんて。。笑

この辺は、また別の機会に色々を書いていこうと思います。

 

話を戻しますと、私自身このコンプレックスに関しては

正直嫌いだ、改善したい、なんてこれっぽっちも思ってないけれど、

と言うか、ここが嫌いになってしまうと24年間の軌跡を

全否定してしまうようで、今までの楽しかった日々を失ってしまうようで、

この性格だからこそ得てきたものも非常に多くあるので、

これを私の個性として認めています。

 

でも、素直に自分を表現している人がすごく眩しくて、

素敵だな、、、なんて思っている自分もいました。笑

 

特にさっき記した同期2名については私の人生に

多大なる影響を与えた人たちの一員なので、

個人的にとても感謝しております。

(こういうところから素直に感情表現していきます。笑)

 

 

さて、この両名のブログの中で、何に一番刺激されたのか。

それは、「自分のやりたいことを平然とやっていること」。

 

勿論どちらも非常に苦悩の先にたどり着いた「今」なので、

そのプロセスを蔑ろにするつもりは本当に全くありませんが、

と言いますか寧ろブログから色々とビンビンと伝わってくるので、

是非次回会う際は根掘り葉掘り深掘りしまくろうと思います。笑

 

結局「行動に移すことができている」こと。

ここに全てが集約されているなと思っています。

 

私は非常にチキン野郎で、自分に責任が持てない人間で、

周りに依存して生きております。

仕事のモチベーションは「周り(特に親)からの見られ方や期待、評価」。

何を始めるにも「自分がやりたいことではなく、向いていると思ったもの」。

 

何をするに際しても、「自分がやりたい!」と思ったことを

着手、実行したことなんて人生の中で片手で数えられるくらいかと。

 

如何なるプロセスを踏もうとも、自分の意志に従って、

自分のやりたいことに挑んでいる、挑もうとしている

姿勢から得も言えぬ感情が掻き立てられました。

 

そこで、単純に羨ましいと思っていた

自分の感情を素直に表現すること」と、

彼らの「自分のやりたいことを平然とやっていること」と、

接続しなきゃいけないと焦燥感に駆られました。

 

なんでそう思ったんだろう、理由は分からないけれど、

衝動的に「折角なんだ、やってやんよ!」と

青臭くも思いたち開設した次第です。

(とは言っても、感化されてから開設までに1週間ほど経ってます。笑)

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さて、ここまでオ○ニーな文章書いたのはいつぶりだろう。笑

でも清々しさや達成感がすごくある。

 

「結局物事を始めるのに遅いということはない」なんて言うけれど、

こんな単純な事柄ならば早いに越したことはない。

思い立ったが吉日と言う通りですね、

今回は本当に今始められて良かったなと

しみじみと実感している次第です。

 

 

この投稿だけでは書き表せられていない私がいっぱいいるので、

あとは時間がある時に、また。

 

 

初投稿ながら長文失礼いたしました。

Yチームで一番焼肉好きなみるきーでした。

本日も頑張って行きましょう。