味覚も考えも甘ったれなみるきーの随筆

本音って甘いだけじゃ物足りない。

進化それとも退化

最近、自分と向き合う時間が取りたいのに、嬉しい誤算で友人に誘われて

外に出る機会や仕事が週末に入ることが多く、着手できなかった。

 

「4,5月は遊びに振り切りサボってしまったから6月は確実に時間を取って書こう」

そう思い立って早半月、仕事に忙殺される日々の中で、

何よりも休養を優先する僕に何かに取り組む時間なんて創出できなかった。

 

なんて書き起こしてから早3ヶ月。

笑っちゃうくらいサボってた。。。

 

このプロットを起こし始めてから時間が経ちすぎて、

あの時のモヤモヤに比べると今は割り切れていて、

「嗚呼、鉄は熱いうちに打つべきだったな」と当たり前の後悔をしていたりする。

 

 

自己実現のあり方について

 

GWに僕は神戸に行き、卒業振りとなる3年振りに

ゼミの教授に会いに行き、色々とお話しした。

 

人生の歩み方に関して、ご自身の知見を基にとても丁寧に言語化して下さり、

頭でっかちでアウトプットをあまりしない僕にとっては

「そうそう、それを言いたかったんだ」とか、

数年後に「あの時言ってたことはこういうことか…!」とか、

そういう体験をさせてくれる非常に尊敬する方。

 

そんな教授がポロッと溢した愚痴が僕の中で延々と木霊し、

最近自身で抱えていた悩みと繋がり、非常にハッとした。

 

「最近のゼミ生は、ゼミの忘年会みたいな飲み会一つも企画せず

当然のように先生が店を抑え、お金を徴収し、店では注文をかけ、

乾杯の音頭も取り、いざ飲み始めると全員がつまらなさそうに携帯を触っている。

どうしたものかと。

私は一体何の時間を過ごしていて、どうして彼らのために私が会話の主導権を取って、

丁寧に手取り足取り接待しているのか。

決して接待して欲しいわけではない。

ただ、素直に考えが、思いが理解できない。」

 

実際、この発言を読んでみて皆さんはどう思う。

別に共感を求めているわけではないが、僕は非常に異常だと感じていて、

且つ、同様の事象が僕の会社でも起こっていて困惑していた。

 

有難いことに私は部下を持たせていただいており、【17卒(同期)、18卒、19卒、中途】

と見ている中で年齢が若くなるにつれて受動的な人が増えている。

 

偉そうなことを言える立場でもなく、僕自身もあまり向上心が強くない、

面倒くさがり、現状維持大好きマンとして、能動的に仕事を獲っていくような

人間では決してない。

 

ただ、そんな僕でさえ、異常と感じている。

これって相当やばいんじゃないのか。

この口だけ立派、行動は上手く誤魔化すマンの僕ですら、

「えぇ…流石におかしくね…」と感じているのである。

 

自己肯定をすると、誤魔化そうと認識しているだけマシなのかもしれない。

超最低だけど。笑

 

そもそも、そういった事態に対して何も感じていない。

おかしいと感じていない。

当たり前だと感じている。

そんな人が増えてきている、と思う。

 

マネジメントの場では、

「今は褒めるマネジメントが主流です」とか、

「目的や背景を落とし込んで、仕事を任せる」とか、

「何をどういう風に動かして仕事をこなすか、具体的に落とし込む」とか、、、、、

 

超面倒臭いんですが!!!!!!!!!!!

 

いや、、やってよ。

そんなん自分で考えてよ。

まずはやってみようよ。

 

「意義が理解できないと、何のためにやっているのか、

ここが分からないとやる気でないんです。」ってなんだよ。

 

うるせえよ!!!!!!!!!!!!!

 

頭あるんだから、脳みそ付いてるんだから、自分で考えるとか導き出すとか、

自分でどうにかしてみなきゃな…とか思わねえのかよ!!!!!!

 

はぁ。。。

こういう風に言語化するだけでも少しスッキリする。

 

こういう悩みに対して僕は「何やねんこいつら…脳みそ動いてないんか…

退化してんちゃう…」と、とてもとてもとてもとても思っている。

 

ただ、世間はそうは言っていない。

よくマズローの承認欲求の話などで、時代が変わり、人が求めるものも変わり、

次第に高次元になっていると耳にすることが多く、要は進化しているらしい。

(下記画像参照、適当に引っ張ってきました。笑)

f:id:milkyflatyou:20190824224718p:image

 

いやいやいやいや、、、、退化でしょ、、、、、

僕はどうしてもそう感じでしまう。

 

これって僕、老害化してますよね。

昔のやり方、自分のやり方を押し付けている。

頭では理解しているものの、どうしても納得できない。

 

はぁ、、この思いどないすればええんや!!!!

 

 

という内容が5,6月くらいに書いたのかな。

今では前述の通り、モヤモヤは晴れている。

 

自分の中で答えを導いて腹落ちさせたから。

自分で考えて、自分の脳みそを使って答えを出したから。笑

 

まあ、ネチネチ言うのはここまでにして、本当に今では納得していて、

そういった姿勢を取る部下に対しても、イライラすることなく対応できている。

 

とても単純である。

 

生き様生き甲斐、これは確かに承認欲求の塊である

ゆとり世代から、自己実現欲求や自己超越に向いている。

 

ゆとり世代ディスるようで、当てはまらない人には大変申し訳ないが、

思春期から青年期初期にSNSが非常に流行ったゆとり世代は、

承認欲求の塊が多いと僕は勝手に考えている。

現に僕もそうであるから。笑

 

対して、今の大学生から新卒1年目2年目あたりの世代に関しては、

学童期から思春期にかけてSNSが流行り、早期に承認欲求の面においては

成熟してしまい、大人(と思い込んでいる大学生含む)となり、

人生について考え始めるようになると必然的に承認欲求は満たされ続けたのだから

当然のごとく次の欲求を求める。

 

我々よりも早い段階、若いうちに経験値を手に入れたら、そらもう早熟するでしょう。

当たり前だ。

 

ただ、そこに大きな問題があると感じている。

ポケモンがくしゅうそうち問題」だ。

 

これ、とても言い得て妙だと感じているのだが、

皆さんはこのワードを見てピンと来るだろうか。。

 

ポケモンをやったことない人は、、すみません。笑

多分ポケモンをやったことある人の大半は、必ずと言っていいほど

がくしゅうそうちって超便利!」と感じて、

早く育てたいポケモンに使ったのではないか。

 

特にコイキングとかケーシーとかに。

あ、僕は赤版緑版世代です。

 

ただ、わざっぷとか、攻略本とか、あとは友人の話とか、

どこかから「努力値」なる情報を手に入れてからは

なるべく使わないようになったのではないか。

僕がそうだった。

 

自分でプレイしている中で察した人もいるかもしれない。

 

諸々の説明をすると、

本来は敵のポケモンと闘い、勝つことで経験値を得てレベルを上げていく、

技を覚えていく、進化していく、こういったプロセスを辿って、ゲームを進行する。

もちろん相手が強ければ強いほど、貰える経験値も多い。

 

そして、レベルが低い間は少しの経験値でレベルが上がり、

レベルが上がるにつれて次のレベルに上がるために必要な経験値は増える。

が、進めるとともに相手も強くなるため得られる経験値も多くなり、

まあ普通進めていけば最低限はレベルも上げられて苦労はしない。

 

そして、「がくしゅうそうち」とは、その道具を持たせたポケモン

戦闘に出なくとも、闘わなくとも、他のポケモンが闘い勝つことで

経験値を得られるという便利な代物である。

 

得られる経験値は、本来闘ったポケモンが100得られるところ、

50-50で分配されるという仕組みである。

(多分。もう何年もポケモンしてないから若干違うかもやけど。笑)

 

そこで大体の人は察する。

「自分の強いポケモンを戦闘に出し、強いポケモンと戦う。

そして早く育てたい弱いポケモンがくしゅうそうちを持たせる。

すると、本来今のレベルでは得られない大量の経験値を

一気に手に入れることができ、レベル上げの効率が上がる」と。

 

確かに、レベル100のポケモンでレベル70-80くらいのポケモンを倒し、

その戦闘の経験値をレベル1のポケモンと分配すると、

一気に5レベとか6レベとか上がって超気持ち良い。

 

ただ、先ほどちらりと書いた「努力値」という概念を知ると、

この育成方法は決して万能ではないと分かるようになる。

 

努力値とは、そのポケモンだどれだけ努力を積んだか、という概念であり、

簡単に言うと自分で闘った数が多ければ多いほど努力値なるステータスを

手に入れることができるものである。

 

努力値を手にするとどうなるのか。

強くなるのである。

 

がくしゅうそうちのみで戦うことなくレベルを上げたポケモン

自分で戦闘を重ね努力値と経験値を積みレベルを上げたポケモン

同じレベルとなっても攻撃力や防御力など、各数値面において

圧倒的に差が開いてしまうのだ。

 

※あまりガチ勢じゃないのでざっくりした説明です。

※なんか違うとかあればご指摘ください。

 

話を戻すと、「ポケモンがくしゅうそうち問題」とは、

人も同様で自らの経験から知見を得るのか、

歴史から知識として手に入れるのか、を比較した際にすべからく

前者の方が成熟度が上がると言うことである。

 

自明の内容であるが、これを元々の話に合わせると、

若い時(レベルが低い時)に本来手に入れられない経験値を得て、

レベルが上がると中身が伴わない。

 

ゆとり世代が思春期後期から青年期初期にかけて手に入れた経験値を、

学童期から思春期初期に同様の経験値を身につけたのが今の大学生や

新卒などの世代なのである。

 

また、インターネットの普及により、自ら努力しなくとも情報が得られる世界となり、

自ら闘わなくとも多少の問題、敵は倒せるようになった。

 

なるほど努力値が積み上げられていないからこそ

本来手に入れるべき視点が手に入れられていないのか。

この考えに至った時、もう超すっきりして、「俺天才やんけ。めちゃ分かりやすいわ」
自画自賛した。

 

他に同じようなことを書いている人もいるかもしれないが、そんなことは知らない。

ポケモンがくしゅうそうち問題」は僕の考えだ。笑

 

改めてこの問題を考えると努力値という概念を

作った90年代のポケモン開発者、先見の明がすごい。

天才だわ。まあ当たり前な内容だけど、すごい。

 

ただ、驚きなのが、このギャップが1,2年の差で生まれている。

相当なスピードで文明が発展し、やはり文明の進化に対して

人間の進化が間に合っていないのであろう。

 

僕はしっかりと努力値を積もうと思う。

便利な世界になっても、自分で経験を得ていく。

それが表面だけでなく深層的な部分でも自分のステータス、スペックを伸ばす

一番の方法だと思うから。

 

となると、、やっぱり結論はこうなる。

 

いや、、やってよ。

そんなん自分で考えてよ。

まずはやってみようよ。

「意義が理解できないと、何のためにやっているのか

分からないとやる気でないんです。」ってなんだよ。

うるせえよ!!!!!!!!!!!!!

頭あるんだから、脳みそ付いてるんだから、

自分で考えるとか導き出すとか、自分でどうにか

してみなきゃな…とか思わねえのかよ!!!!!!

 

長文乱文拙文失礼いたしました。

是非、皆さんの考えもご教示ください。

それでは。

 

 

 

 

 

改めて、月1回は更新できるようにしよう…

自分で考えて導き出さなきゃ…